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ゆっくり色づく、ムラサキシキブというコムラサキ

 うちの盆栽棚は2階にあります。今日の午前中、いつものように水やりをしていたら、夏でモシャモシャに伸びた隣の桑の木の葉っぱの中から、急にゴソゴソと隣のおじいさんの顔が現れました。私が挨拶をすると、普段はとても紳士的なおじいさんが、葉っぱからさらに顔をにゅっと出して、「おうっ!こんにちは」と私を見ました。おもしろい絵でした。

 このおじいさんは、うちの大家さんのお兄さんです。毎年この時期になると、桑が伸びて私の盆栽棚までかかってしまうのを気遣ってくれているようで、木に登ったり、塀に登ったりして、伸びた桑の枝を切ってくれます。

 「あんたも好きだねえ」と、加藤茶みたいなことを私に言ったあと、「これだけあると、水やりが大変だろうね」と、やさしい言葉をかけてくれました。私はちょうど実が赤く色づいたウメモドキの盆栽を見てもらいました。

 ここまではよかったのです。その後、おじいさんはバッサバッサと慣れた手つきで桑の枝を切り出すのですが、すると今まで桑の木で休んでいたと思われる蚊の大群が、一斉に私のところへ押し寄せて来たのです。私の足に、腕に、頭に、寝起きで機嫌の悪い蚊がまとわりつきます。散々刺されたあげくに、「ひぃ~」と、家の中へ一旦退却して、あちこちにムヒを塗ります。もう、ムヒのプールに入りたい・・・と思いました。しかし、私も男です。負けてばかりじゃいられません。こんな時のために、買っておいたものがあります。

 蚊取り線香です。

 さっそく蚊取り線香に、復讐心という名のライターで火をつけ、再び戦場へ出ます。まだ水やりがだいぶ残っていたのです。乾いた私のかわいい盆栽たちに、早く水をあげなくては可哀想です。蚊取り線香をまたぐようにして、再び水やり開始です。

 しかしこれだけ数が多いと、勢いづいて、蚊は一切ひるみません。またあっちこっち刺され、カエリウチに遭う私でした。仕方なく、家の中で蚊が離れていくまでしばらく待つ私でした。

 「よくも、よくも、こんなにまで・・!」と、口惜しがりました。今夏、一番大きな涙がポロリとこぼれて、赤く腫れた、くるぶしの刺されあとに落ちました。

 そんなわけで今日は、ムラサキシキブと呼ばれるコムラサキです。 

 コムラサキというのは、普通にあちらこちらの庭先、植え込みによくある、多くは株立ち状になって、紫色の小さな実をたくさんつける低木の名前ですが、この木のことをムラサキシキブと呼ぶのが一般的になっています。ホームセンターでも花屋さんでもほとんどが‘ムラサキシキブ’と売っています。しかし実際は、ムラサキシキブとは同種の別の木のことを言います。知ったように言いますが、ちなみに私は本当のムラサキシキブを見たことがありません。

 まぎらわしいことはなはだしいですが、それだけ紫式部という名前は日本人にとって、キャッチーで、魅力的なのでしょう。だったらもう、コムラサキもムラサキシキブと呼んでしまいましょうよ。それでいいでしょう。だいたい、コムラサキという名前をつけた学者さんがいけないのです。きっとそうです。シキブを取っちゃいけません。ヒメムラサキシキブとか、さらに発展させて、ムラサキシキブヒメとか・・かわいいんじゃないの?もっと短いほうがお望みなら、ヒメムラサキなんて、なんだか江戸むらさきみたいで、ごはんのお供にも良さげじゃないのよ。うんうん、ムラサキヒメなんてのも上品ね。

 今日は蚊に刺されて、私は少しヤケになっているようです。いい大人が、ふざけたことをそうこう考えている間も、刻一刻、秋が近付いてきています。

 我が家のムラサキシキブというコムラサキは、緑から紫へと徐々に、そのかわいらしい実を色づけていきます。

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忌み枝と呼ばないで~ヤマモミジ

 実生2年目のヤマモミジです。葉が太陽にすけて、きれいです。

ヤマモミジ

 まだ、ビニールポットに入っています。発芽後、双葉の下1センチほどのところできれいにスパッと切ってしまい、それを挿し木するという、軸切り挿し芽をしてあります。こうすると、低い位置に枝ができるので、小さな盆栽を作る時に都合がいいのです。

 今日は少しだけ枝を針金でさげておきます。

ヤマモミジ

 見た目は、枝を下げる前の方がステキです。しかし、この木にはこれからの樹形の構想があり、ぜひともまだ枝がやわらかいうちに横に流しておきたかったのです。勝手なもので、今までめったに手に取らなかったようなものでも、ある日、これから目指す樹形が思いついたりすると、急にジロジロ、ベタベタです。

 この木は、幹にゆるやかな曲をを少し持ちつつも、まっすぐ上へ伸びてもらいます。

 モミジの葉は対生なので、枝や幹から左右対で葉をつけます。そこから枝が伸びると、この木の中ほどの枝のように、枝が左右に、幹を貫くようにつきますが、これは盆栽では、かんぬき枝と言って、忌み枝のひとつに数えられています。

 忌み枝というと、何か不吉な響きですが、本では、「どことなく不自然で、見苦しいために忌み嫌われている枝」ということです。自然を監禁しておきながら不自然とはなんだ!と、木から怒られそうな説明ですが、きっとこういうことでしょう。

「人間の美的感覚、または自然という感覚に反する枝」

 かんぬき枝は、どちらかを切るか、短くするのですが、まだまだ木が幼いですし、今から気にすることもないでしょう。来年、再来年と木の骨格を作っていく中で、様子を見ながら手を入れていこうと思います。


タグ:モミジ

コブシの取り木の気になるその後

 今朝は少し、寒いくらいでした。公園のハナミズキは、水切れだかこの気候からか、葉を落としたり、枝先を枯らしているものもありました。今日もニュースで、異常気象と伝えていましたが、私はこっそり、これをキッカケに、通勤通学途中にでも、草木に目をやる人が増えれば、と、思っています。

 さて、今日は5月の末に取り木を仕掛けたコブシhttp://itsuka-bonsai.blog.so-net.ne.jp/2009-05-29-2の結果を報告いたします。

 7月の末に、もうそろそろかなと、環状剥皮部を覆っていたビニールを取ってみました。太くて短い根っこが1、2本だけできていました。はなはだ頼りないもので、またビニールで覆いなおそうかとも考えましたが、また去年のように、削ったところがカルスでつながってしまったりすると、私はしばらく落ち込んでしまいそうなので、意を決して、発根部の下から切り離しました。

 コブシの取り木

 二又に分かれた根っこが見えます。ビクトリーのピースマークです。見た目は頼りないですが、本人は、やる気満々みたいです。私もそれを信じましょう。

 水を吸い上げる力は、根が少ない分、弱いので、葉っぱも小さく切ってしまいました。地下と地上の力のバランスをとってあげます。

コブシ

 仕立て鉢におさめて、とりあえず絶対安静です。まずは日陰で養生してもらいます。

 その後、約1か月が経ちましたが、少しだけ葉を落としたものの、とりあえず安定しています。

 そして、コブシの下部はというと、切り口に癒合剤を塗られ、何事もなかったかのように、棚の今までの位置にいます。

コブシ

 コブシは丈夫ですが、盆栽にするとなると扱いにくいです。葉っぱは大きくなるし、枝は徒長するし、枝を切ればコブになってしまうし、小さなままだとなかなか花も咲かないらしいです。しかし私はあきらめません。盆栽猿と、巷で恐れられているこの私に、あきらめるという文字は書けません。?意味がわかりません。変な言葉が勝手に出てきます。

 そろそろまた、頭から煙が出てくる頃です。もう寝ましょう。

 


タグ:コブシ

長寿梅、突然の落葉

 最近、公園の桜があちらこちらで黄葉しているのを見かけます。うちのリンゴの木も黄葉して、少し落ちました。コウライネムも、黄葉、落葉があります。しかしうちの木の中で一番葉を落としたのは長寿梅でした。もう、黄変、落葉は止まりましたが、3分の1は落ちてしまいました。

長寿梅

 その理由はわかりませんが、夏バテみたいなものでしょうか?あまりにも急に、たくさん落ちたので、「やばい、枯れるか?」と、あせってしまいました。

 しかし、葉が落ちて、なんだか雰囲気がよくなりました。枯れてしまわずに、枯れた味わいになりました。今の姿の方が、長寿梅には悪いけれど、好きです。

 葉を落としはしましたが、うちの盆栽は、飼い主に似てタフです。さっそく新しい芽をあちこちに吹いています。

長寿梅

 盆栽では、6月頃、葉を全部なり部分なり切ってしまい、人工的に落葉状態を作り、2番芽を出させて、葉の大きさを小さく整えたり、枝数を増やしたりたりする‘葉刈り’という作業がありますが、この長寿梅は、これを自分でやってしまったようです。主人想いな奴です。

 なんてことを言ってふざけてばかりもいられません。落葉の原因がわからない以上、しばらくは注意して観察です。また、葉をたくさん落として2番芽を出すのは、木にとって相当な負担のはずです。栄養もしっかりあげたいところです。そうそう、長寿梅は根頭癌腫病対策で、普通、9月頃に植え替えするそうです。あぁ、頭がこんがらがって来ました。私が何をどうすれば、今この長寿梅にとってベストなのでしょうか。あれ?私の頭から煙がでてきました。

 このままでは私が落葉しかねません。今日はここまでのようです。


タグ:長寿梅

ロウヤ柿とコケの領地問題に関する和平交渉の中、誕生日を迎える私

 柿というのは、なんだかやはり、日本人の心に訴えるものがあるのでしょうか。盆栽で人気のある樹種のひとつに、老爺柿(ロウヤガキ)があります。中国原産で、実の大きさは2~3センチほどです。うちには、3年生くらいでしょうか、苗で買ったもの1株と、今年タネから実生した1年生の芽が十数株あります。しかしまだこの木の成長のサイクルがよくわかりません。それなりに注意して観察しているつもりですが、たいした変化もなく、見ていると眠くなります。対照的にこの鉢ではコケがとても元気よく、鉢から溢れんばかりに育っています。

ロウヤ柿

 この鉢に水をやっていると、時々、ロウヤ柿に水をやっているのか、コケに水をやっているのか、わからなくなります。

ロウヤ柿

 一方コケはもう、主役は自分だと信じているようで、ロウヤ柿の細い幹にまで登って来始めています。

 コケがあると水やりの時に土が飛ばないという利点がありますが、正確な理由は知りませんが、コケが生え過ぎても生育に良くないという話をちょこちょこ聞きます。そのためわざわざコケをはがして、きれいにしているようです。

 うむ、と神妙な顔つきでそのロウヤ柿の鉢を手に取ると、私は右から左から、目を細くしてじっくりと表土の上のコケを見つめます。

「君、私は君が嫌いなわけじゃないのはわかるね。わざわざ書店でコケについての専門書を注文して買うくらいだ。昔は仕事をさぼってコケ集めだってしていたものだよ。君にはわからないと思うが、見つかったら、いくら私でも恥ずかしいのだよ。それでも私はそれをやってのけた。それだけ君等は魅力的なのだよ。しかし、木を弱らせてしまうときたら、私もそれを放っておくことはできない。別の場所に行こうじゃないか、え?」

 話はまとまりました。コケを取り去り、久々にスッキリしたロウヤ柿の鉢です。

ロウヤ柿

 コケとの話し合いで提示された条件をのみ、ぱらぱらと、コケのごく一部は土に残されました。

ロウヤ柿

 その上から富士砂の混じった赤玉土をかけておきます。

ロウヤ柿

 これがコケ側の条件だそうです。私も男です、約束は守ります。

ロウヤ柿 

 ロウヤ柿は、針金をかけ直し、また新しい姿で夏の太陽を浴びています。ロウヤ柿には雄株と雌株がありますが、この木がオスなのかメスなのか、知りません。実生ではオスが多いようですが、どうでしょう。数年後に花が咲くまで、答えはオアズケです。

 本日8月22日をもちまして、私、35歳になりました。どう考えても、子供の頃にイメージしていた、または20代の頃にイメージしていた35歳の大人とは違うようです。私はこの年になっても変わらず、いい加減なことを言って、ふざけてばかりいます。おまけに素手でセミをつかまえます。昔はわからなかったことも、わかるようになった気がしますが、それはうぬぼれでしょうか。新しい勘違いのだけでしょうか。

 もうすこし、中年としての自覚を持つべく、明日は彼女と共に、初めて演歌のコンサートというものへ行ってきます。石川さゆりです。ライブハウスではないのです。FUZZペダルを踏み込むこともないのです。

 今夜は明日のために、発声練習です。

 「よっ、さゆりっちゃん!」


気付いてやれなくて、ごめんよ。~ヤマコウバシ

 ごぶさたしております。最近は夏ゆえ、管理で精一杯です。蚊に狙われるため、大事な観察すらもハードです。なのでブログの更新も控え目にしています。こんな地味なブログ、たのしみにしている人はいないとは思いますが笑、どうぞご勘弁ください。 

 ひょんなことから、何年も前、テレビで紹介していた外国のドッキリ番組を思い出しました。その番組では高校生くらいの男が仕掛け役になって、いきなりお父さんに、自分はゲイだと告白して驚かす、というものでした。お父さんを、話があると居間に呼び出すと、その姿がテレビの画面に初めて写ります。マッチョでコワモテの男です。そんな父に、自分はゲイだ、などと言おうものなら、どんなことになるかと、テレビの前の多くの人がハラハラしたでしょう。 息子がそれでも、自分はゲイだと、ためらいを見せつつも父に告げました。私はこの父が暴力を振るうのを恐れました。しかし父はそのままうつむき、しくしくと泣き始めました。

 「今までつらかったろう。こうして私に言うまで、さんざん悩んだろう。つらい思いをさせて悪かった。気付いてやれなくて、すまなかった。」というようなことをその息子に、泣きながら言って詫びました。最後に、ドッキリだとスタッフが父に知らせると、やられた、というような顔で気持ち良く笑っていましたが、いえいえ私も男泣きです。作られたヤラセの企画だったかもしれませんが、そんなこと、かまわず泣いたのを覚えています。本当に大きな男を見た気がしました。

 先日うちのヤマコウバシの葉が傷んでいるのを発見しました。

ヤマコウバシ

 原因を考えましたが、この鉢は他のポット苗にキュウキュウに囲まれて埋もれた位置にあったので、朝の水やりを見逃し、水切れしたのではないか、というのが私の推測です。

 これから秋、冬と季節が移り変わって行き、紅葉の後も、葉を落とさず冬を越すこの木の、チャームポイントである葉を痛めさせてしまったのは、とても残念です。

 しかし、木はまだまだ元気です。もう次の芽が出ています。

ヤマコウバシ

やまこうばし

 気付いてやれなくて、ごめんよ。


カナシデのアンジー

 略してシデブラと呼ばれ、日本中の皆から愛される縦縞の癒し系、シデブラザーズ、アカシデ、イワシデ、イヌシデに、さらにもう一種、ニクらしいヤサオトコが加わりました。盆栽界では何故かカナシデと呼ばれるクマシデです。

クマシデ カナシデ

 まだまだ若く、小さい三人衆ですが、年を経ると幹に縦縞が入ってきます。蓑虫のような果穂をぶら下げる姿は、やさしく人あたりの良いだけじゃない、個性的な一面も見せてくれ、ハッとします。また若木でも、そのキリっとした葉脈の通る葉の姿は、やさしさに秘めた芯の強さを感じさせてくれます。派手さはありませんが、結婚するならクマシデでしょう。きっと幸せにしてくれます。

 危ない!一体私は何を言っているのでしょうか。あやうくクマシデに嫁に行くところでした。

クマシデ カナシデ

 鉢にあげたいところですが、今のところはポットごと軽く土に埋めておくだけです。また、おいおい、植え替えシーズンの3月までに考えます。


富士ブナランドへようこそ

 去年はただの棒だった、うちの幼い富士ブナも(http://itsuka-bonsai.blog.so-net.ne.jp/2009-04-10)、枝ができてその枝がまた別れて、少し木らしくなってきました。

富士ブナ

 しかしこの富士ブナ、足が長過ぎるんです。下の方には枝がまったくありません。まるで道路標識です。

 このまま枝のあるところだけで作っていき、頃合いを見て取り木をすれば、

富士ブナ

 こんな感じの樹形になるかしら、と、幹の太りを待ち遠しく思ったりします。他にこの木を輝かす構想、ないでしょうか。そんなことを考えながら育てて、ここぞと思い立った時にその時思う策を試す、これがたのしいです。時には思わぬ事故で思い通りに行かなくなったり、それが逆に功を奏して新しい発想を得たりします。私の好奇心から思わぬ方向に行って、帰って来れなくなったヤツもいます・・。

 そんな盆栽の卵たちを立派に育てるべく、しっかり観察して、そのままイマジネーションを広げて未来の姿を脳裏に浮かべる、私の好きな、特別な時間なのですが、最近は、死をも恐れぬ血に飢えた蚊軍の集中攻撃に耐えられず、ひぃ!とすぐさま退散、家の中です。せっせとムヒを塗りながら、よくもよくも・・と蚊を恨むのです。

 きれいな紅葉をたのしむために、真夏の水切れに注意です。といっても最近の天気、暑いですがそれほど日差しが強くはないので、去年よりも水やりが楽な日が多いです。


タグ:富士ブナ

或る阿呆のキンカン

 うちにはキンカンの木が2株あります。そのキンカンのタネは、その頃、私の彼女が髄膜炎だのなんだので入院した際に、私の母がお見舞いに持ってきたキンカンのタネです。入院までが随分と大変だったので、これを忘れないようにと、思いを込めました。2005年の春にタネをまき、4年目の去年の夏、そのうちのひと株が花をひとつだけ咲かせ、かわいい実をつけました。

 強風で大きな鉢が上から落ちてきたこともありました。枝が裂けるように折れましたが、その傷は、今ではその木のトレードマークです。

キンカン

 柑橘類の多くは夏に葉っぱの新旧交代が活発になります。つまり、古い葉っぱがその寿命を終えて落葉するのです。

キンカン 

 葉っぱが黄色くなっています。

キンカン

 こうしてしばらくすると落葉するわけですが、夏、常緑樹が紅葉するわけでもなく、また、イチョウのようにすべての葉がいっせいに黄変するわけでもなく、落葉樹の秋冬の紅葉、落葉とくらべて、はなはだ地味です。誰かに話してみたところで、暑苦しい、それどころじゃない、だから何?と一蹴されます。

 しかし調べてみると、俳句で夏の季語として、「夏落葉」があるようです。すこし孤独が和らぎました。

 それにしてもここしばらく、悪く言われているわけでは全くないのですが、愛情表現の冗談なのですが、趣味がジジ臭いと言われることが多いのです。20代をずっと作詞・作曲・バンド活動をして過ごしてきたイメージがあるため、それが先行するというのもあるでしょうが、私にとっては、熱くなるものがたまたま年配の愛好者の多いものであっただけのことで、追い求めているもの自体は、子供の時からたいして変わっていません。音楽活動の最中に作った貼り絵にも、ほら、今の私がいます。

乱れ咲き

 私の興味はいつでも少数派だったので、だからこそ自分の情熱を貫くにはそれなりの反抗心も必要でした。それを考えれば、なにも今さら気にしなさんな、といったことなのでしょう。私の反抗心とは、自分の情熱に忠実であることで、私の情熱は、五感と想像の中にありました。私は今もそこにいます。その追求の中で真実を探しています。人間について考えています。

 しかし実際、おとなしくなったのも事実です。刺激的なロックにのせるべく書いた詩と比べれば、私のブログの文章など、80年代の肩パット入りジャケットと、撫で肩くらいの差です?今まさか、お気に入りの鉢を振りまわして叫んだりしませんし、仕立て鉢をうっかり割ってしまっても、接着剤でなおしてまた使う始末です。

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 私も、生活を味わってみたく思ったのです。激情の中で掘り当てた私の答えが、静かな生活の中でどれだけ意味を持つのか、私はそれを今、探っています。 

 そんな私をよく知る古い友達は皆、昔より元気そうだといいます。変わらない、ともいいます。私はただただ、今までは今までで、阿呆なりの精一杯を生きてきたつもりで、この先はこの先でまた、その時なりの阿呆の精一杯を生きたいと思うだけです。そこにこそ真実と自由と、祈りがあることを、昔から変わらず信じています。 

  


タグ:キンカン
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